Thursday, March 6, 2008

The importance of the Pāḷi Tipiṭaka

The importance of the Pāḷi Tipiṭaka ,
Excerpt from preface to the World Tipiṭaka Edition in Roman script
by Venerable Phra Dhammapiṭaka (P.A.Payutto)

(English Version)

Venerable Phra Dhammapiṭaka


三蔵経の重要性

ローマ字国際版三蔵経・序文からの抜粋
P. ダンマピタカ長老著


ブッダ・サーサナ(Buddhasāsanā)、またはブッディズム(Buddhism)という語には、一般的に幅広い意味があり、その範囲は、ダンマ(法)、サンガ(僧)、サンガの組織、サンガの活動から、仏教聖地や仏具にまで及びます。しかしブッダ・サーサナのほんとうの意味を調べてみますと、その意味は明白であり、文字通り 『ブッダの教え』という意味です。これがブッダ・サーサナの本質であり、他のものはブッダの教えの延長線上にあるにすぎないのです。

ブッダ・サーサナという語のほんとうの意味を理解すれば、ブッダ・サーサナが存続するということは、ブッダの教えが存続するという意味である、ということが分かるでしょう。もしブッダの教えが曖昧になったり、消失したなら、いかに信者の数が多くて活動が盛んであっても、いかに建物や組織、物が立派であったとしても、ブッダの教えが存在していると言うことはできません。反対に、そうした副次的なものがなくとも、ブッダの教えが存続しているなら、人々は仏教を知る機会を持つことができるのです。従って、ブッダの教えを保存することによって、仏教を真に保つことができるのです。

教えと戒律――ブッダの顕現と拠り所

ブッダ・サーサナ、すなわち仏教とは、ブッダの言葉、またはブッダの教えのことです。従って仏教を保存するということは、ブッダが説いた言葉と、ブッダが定めた戒律を保存するということなのです。

仏教徒は皆、教えと戒律がブッダを表しているということをよく知っています。というのも、ブッダは次のように説いているからです。

  私が説いた教えと、私が定めた戒律とが
  私の死後、お前たちの師となるのである
                    
したがって、ブッダの教えと戒律を守るとき、ブッダの言葉は師の顕現であり、拠り所となるのです。

ですから、ブッダの言葉を保存することは極めて重要であり、仏教を存続することが鍵になります。ブッダの言葉を保存しようとする試みは、ブッダの生存時からなされています。

結集(Saṅgīti )――ブッダの言葉の保存

ブッダの言葉を保存するために、ブッダが説いた教えをすべて集め、記憶しやすいようにいくつかのセクションに分けるという方法がとられました。参加者たちは、全員が完全に合意するまで徹底的に質疑応答を繰り返し、検討しました。合意が得られたら、承認し、確立するために、ブッダの言葉を合誦しました。このようにして、ブッダの言葉が記憶され、また、次世代に手渡すための文献の基準になるものとして集成されたのです。この方法はSaṅgīti (結集)と呼ばれ、合誦するという意味です。

結集、または合誦という方法は、ブッダの生存時から、ブッダの一番弟子であるサーリプッタ尊者によってなされていました。サーリプッタ尊者はブッダとその弟子たちの前で、師の言葉を集成し、各項目の数に基づいて、1のグループから10のグループまで整理して述べました。サーリプッタ尊者が暗誦を終えると、ブッダは賛意を示し、感嘆なされました。(Saṅgītisutta)

仏紀1年の最初の大会議

ブッダが入滅されて間もなく、最も大規模で重要な結集が執り行われました。ブッダの入滅7日後、マハーカッサパ尊者は僧たちに、結集のために集まるよう招集しました。僧たちは同意し、ブッダ入滅からわずか3ヵ月後に、最初の結集がラージャガハ(王舎城)で行われました。

このようにしてブッダの言葉の結集がなされたのです。ここには500人の阿羅漢が集まり、各分野でブッダの言葉を正確に思い出すことのできる阿羅漢たちが選ばれました。戒律にはウパーリ尊者が、教法にはアーナンダ尊者が選ばれました。その後、阿羅漢たちがブッダの言葉を合誦しました。座長のマハーカッサパ尊者は、質問をグループ化し、配列する方法を定めますた。つまり、体系化したのです。

ブッダの言葉の合誦がブッダの生存中に行われたなら、ブッダはそれを承認されたことでしょう。ブッダの滅後、第一結集以降、ブッダの言葉を口頭で正確に確実に保存するという責任が阿羅漢たちにかかりました。参集した阿羅漢たちが合意に達すると、皆で言葉を合誦し、それが受け継がれるよう記憶しました。こうして伝統が確立されたのです。

第1結集は最も重要です。なぜなら編集し記憶されたブッダの言葉は、これから基準になるからです。次に重要なことは、第一結集のブッダの言葉をそのまま完全に保存するということです。こうして、ブッダの言葉を保存する方法として合誦することに重きが置かれ、保存を委ねられた僧たちが記憶すべき部分を割り当てられたのです。

従って、第1結集こそが、真の意味での結集(ブッダの言葉を編成し、合誦すること)です。以後の結集は、確認の会議にすぎず、つまりブッダの言葉を記憶した僧たちが、第1結集で集められた師の言葉を無傷で改変することなく記憶していることを確認し、互いに調べ合うために召集された会議なのです。

第6結集(Chaṭṭhasaṅgīti )
仏紀2500年の国際大会議

仏教が仏紀25世紀に達したとき、テーラワーダ仏教のすべての国々は大祝賀会の準備をしました。最初の国際結集が、仏紀2,496年から2,500(西暦 1,952年から1,956年)にミャンマーで召集されました。テーラワーダ仏教に帰依するすべての国々の仏教僧と仏教学者たち、そして仏教の教えが普及している国々が、ミャンマーに集まり、ビルマ版パーリ語三蔵経を、他の国々の異なる版と検討しました。この集会は第6結集(Chaṭṭhasaṅgīti )と呼ばれ、あらゆる仏教国に認められました。

しかし第6結集が終わってすぐ、ミャンマーは混乱し、政変が起こりました。このため第6結集のパーリ語三蔵経の保存と印刷がスムーズに進まず、草稿として用いられたビルマ版と、結集の結果である決定版とを取り違える混乱が起こったのです。

国際版パーリ語三蔵経 仏紀2545年
Mahāsaṅgīti Tipiṭaka

現在、タイ最高僧長の(Somdet Phra Ñāṇasaṃvara )法王が援助しているダンマソサエティ財団(the M.L. Maniratana Bunnag Dhamma Society Fund)が、ローマ字版第6結集パーリ語三蔵経を出版しようとしています。これは、世界中のテーラワーダ仏教僧が、校訂し編集したものです。こうしてパーリ語三蔵経は世界中で利用できるようになりました。

忍耐強く決意を持って、注意深く、ことを進めることにより、作業委員会は別の時期に印刷された第6結集パーリ語三蔵経を発見し、初版と校訂版を区別しました。そして、あとで印刷された版には、本来どうであったかという注釈をつけました。委員会は最も正確な版を得るために精力を傾けました。数か国のさまざまな版のパーリ語三蔵経が調べ直されました。第6結集の目標はついに実現されたようです。

タイ王国からダンマの贈り物

タイ最高僧長が援助するダンマソサエティ財団は、ローマ字版パーリ語三蔵経、つまり仏紀2,500年の国際大会議のパーリ語三蔵経を出版し、タイ国王王妃両陛下に敬意を表して、ブッダの教えが遠くまで行渡るよう、ダンマの贈り物として世界中に贈呈しています。この使者たちには、はじめ美しく、途中美しく、最後も美しいブッダの教えを伝道する任務があります。これはブッダが最初の弟子たちに、人類の幸福のためにブッダの言葉を伝えるように説いた教えなのです。


Sādhu! Sādhu! Sādhu!